役立つ新宿 リラクゼーション情報
ガス代の請求書といっしょに送られてくるパンチカードが例外だが、これは折り曲げたり、丸めたり、切ったりせずに、料金といっしょに素直に送り返さなければならないものだ。
それでは、どうやってオフイスBの地下に獄感する大型コンピュータから、私たちのデスクの上で暮らす小さなコンピュータが生まれたのだろうか。 そうではないのだ。
パーソナルコンピュータは、大型コンピュータとはほとんど完全に無関係である。 何か関係があったことなど、一度もない。
パーソナルコンピュータは工場で製造されるエレクトロニクス仕掛けの機械で、ディーラーを通じて個人や企業に販売される。 すべてが予定どおりに進めば顧客は購入したことに満足し、たとえばアップルやコンパックといったパーソナルコンピュータを製造した企業は、客が次のコンピュータを買うときまで彼または彼女のことを耳にすることはない。
これをメインフレーム・コンピュータと比べてみよう。 大型コンピュータは工場で製造され、企業あるいは政府に直接販売される。
そしてコンピュータメーカーの手で設置され、メーカーに保守され(月ぎめ料金で)、メーカーの融資を受け、しばしばメーカーが作ったソフトウェアを使う(買い取りではなくライセンス供与により、月ぎめの別途料金で)。 大型コンピュータ企業はハードウェアを売って稼ぐのと同程度の金額を、保守、融資やプログラミングで得ているのだ。
パーソナルコンピュータ企業と違って彼らは顧客のことを知りたがるが、それだけではすまずに顧客の夢にまで入り込もうとするのである。 この二つのシナリオに共通する要素は工場だけだ。
それを除けば、すべてが異なっている。 パーソナルコンピュータの販売は、数百万単位で存在する小口の顧客が前提になっている。
これに対して大型.大型コンピュータと小型コンピュータは、根本的にタイプの違う人間たちが作ったまったく異なる創造物である。 理屈の上では、メインフレームが縮小してパーソナルコンピュータが生まれたと考えるほうがスジが通っている。
それは私も認めよう。 しかし、現実はそうではなかった。
パーソナルコンピュータ産業は、半導体産業から発展したのだ。 パーソナルコンピュータは小さなメインフレームというより、途方もなく巨大なチップと考えたほうがいい。
あくまでも「シリコンバレー」であって、ヨンピュータバレー」とは呼ばないことを思い出してほしい。 ここは1957年のある日の午後、B・NSと7人のエンジニアがSR・セミコンダクターズを辞めたときに生まれた場所なのである。
ンピュータは、ほんのわずかしか存在しない大口顧客を前提にして販売されるのである。 1950年代初め、I社の技術者がシステム650というメインフレームを設計したとき、販売予測台数はたった50台だった。
そのために当初から、それだけの台数が売れれば利益が出るように原価計算されていたのである。 ところがコンピュータが企業にとって重要な存在になったとき、当然、I社は50台をはるかに上回る売上台数があることに気がついた。
システム650も、実際には1500台売れている。 利益率は60パーセントから70パーセントまで上がったが、これはまぎれもなくスケールメリットのおかげである。
こうしてコンピュータメーカーは、初めからこの利益率を期待するようになったのだ。 それなのに、なんだってパーソナルコンピュータのことなど考えなくてはいけないの6ラ[第3章]コンピュータバレーと呼ばない理由1940年代末、カリフォルニア州マウンテンビューで育ち、奇術が趣味だったW・SRは、ベル研究所でトランジスタを発明した。
そして1950年代の中頃、マウンテンビューに戻り、それまではアプリコット乾燥小屋だった場所でトランジスタを製造することになった。 SRは科学者としては優秀だったが、経営者としては最悪だった。
たとえば彼は社内の掲示板に従業員の給与リストを貼り出し、同じ仕事をしているのに給料が少ない人間の怒りを買ったことがある。 仕事がうまくいかなくなったとき、彼はサボタージュのせいにして社員にウソ発見機のテストを受けるよう要求したこともあった。
それで充分だった。 SRがノーベル物理学賞を受賞したとき、社員たちはこれを祝ってエル・カミーノ通りにある赤い羽目板のレストラン、ダイナーズ・シャックに集まって朝食をとり、シャンペンで乾杯をした。
それからわずか数週間後、のちにS博士が「8人の裏切り者」と呼んだ連中が出ていったのである。 SRにとって、それ以降の人生はまったくの下り坂だった。
現在の彼は1940年代から1950年代にかけて指揮した画期的な半導体研究よりも、彼が考え出した優生人種理論と1970年代に設立した天才のための精子銀行のほうをよく憶えているようだ。 精子銀行には言うまでもなく数十mものSRの精液が冷凍保存されているから、博士が死んだと言いきれるようになるにはまだだいぶ時間がかかりそうだが:…・・NSと7人の仲間たちは、フェアチャイルド・セミコンダクターズを設立した。
この会社は、その後に続くシリコンバレーのあらゆるベンチャーの原形と言っていい。 彼らはフェアチャイルドを設立するために、若い投資銀行家、アーサー・ロックに必要な資金を調達してもらった。
一方、ロックはこの会社のために、ベンチャーキャピタルを設立したのである。 その後、こうした形態はパターン化した。
技術系の人間は集団で元の勤め先を辞め、新しいアイデアを支援してくれるベンチャーキャピタルを選び、次のベンチャー企業を始めるのである。 フェアチャイルド社だけにかぎっても、このパターンで50社以上の半導体企業が枝分かれした。
ベンチャー企業設立の根底にあるのは論争である。 成功した企業の内部には現行の製品ラインを廃止して、新しい先進的な技術に会社の命運を賭けようと考える一派がいるものだ。
普通、現行技術を開発したのはボス本人だから、そのアイデアはバカげていると考える。 そしてこの一派が新しい冒険に成功するように願いながら、そのことを連中に伝えるのである。
ベンチャー企業が成功する確率はわずか5パーセントだ。 もしボスが頭のキレる男なら、連中の新しい会社がその5パーセントに入ったときにあわてないようにと、わずかではあるが彼らに出資して退社の手助けさえしようとするのである。
ベンチャー企業の魅力は常に変わらない。 規模が小さく全員のなかで一番頭のキレる人間が実権を握っているが、全員の力を必要とするということである。
会社の目標はそのまま技術指向の強い社員全員の目標であり、会社の性格は創業者の性格を反映する。 創呼業者は例外なくエンジニアで、決まって男だ。
NSはアイオワ生まれの牧師の息子で、彼の社会的な意識はまさしくそうした生い立ちを反映していた。 フェアチャイルドには職階制がなく、従って専用の駐車スペースや役員専用食堂といった管理職の特権もなかった。
これは会社が数千人の従業員を抱え、NSが退社したずっとあとまで続いていた。 服装の規定もなかったし、ドアもほとんどなかった。
NSは小さな社長室を持っていたが、ほかの従業員と同じで肩の高さのパーティションで仕切られただけのものだった。
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